PENTAX祭りだったあの日
J Limited 01を購入したあの日、もうこれはPENTAX縛りで行くしかないと決めてフィルムカメラにはPENTAX SLを選んでいた。
これに、SuperTakumar 35mm F3.5。
僕の中では一種究極の組み合わせであるわけ。
J Limited 01を手に入れて、1%erオーナーになるというめでたい日を彩るのに相応しい選択肢だよね。
SL × Takumar × FOMAPAN
〜東京駅
Super Takumar 35mm F3.5の魅力って、改めてなんなんだろうか。
とにかく小さくてコロッとした…本当に何の変哲もないフツーのレンズ。
ずば抜けていい写りなわけじゃない。でも、ダメでもない。
被写体の、見たままの質感を何も誇張することなく(ボケも含めて)写し留める…そんな感じのレンズだ。
東京駅〜日比谷
僕的には、そういう理屈は割とどうでも良くて「なんか好き」でも十分なんだが。
でもそれだけだとアレなんで…ちょっと戯れ言に付き合ってもらいたい。
まぁとにかく、フツーなのが一番いいってことなのかなぁ。
どう背伸びをしたところで、自分以上のものにはなれないと言うか…。
プロユースのバケモノじみた大口径や、大砲のようなズームレンズを振り回して、やれ
「AFがー」、「色のりがー」、「コントラストがー」、「ボケがー」
…そういうことを言う前に、まぁこれでちゃんと写真撮れるようになりなよと諭されているような気もする。
いや、実際に撮っているときはそんなこと微塵も考えていないんだけど。
「お前、小さくて可愛いなー」
と撫で回しながらプラプラしているだけだw
でも、こうやって後から仕上げた写真を見返していると…
「ほら、凄いレンズなんか使わなくてもちゃんと綺麗に撮れてるじゃん。やったね!」
と言ってもらっているような気になる。
…誰に言ってもらっているんだろうか?
日比谷〜銀座
Super Takumar 35mm F3.5は、一番最初にお爺ちゃんの遺品として受け継いだレンズだ。
我が家にあるお爺ちゃんの遺品たちは三段階の「出土時期」があって、第一次出土品はお爺ちゃんが亡くなった直後に発掘されたもの。
第二次出土品は、お爺ちゃんの死後何年も経って今度は親父が亡くなった後の整理で、親父の持ち物の中に紛れていた物(つまり、一時期は親父が引き継いでいた物)。
最後の第三次出土品は、祖父母が亡くなり、親父もいなくなったことで広くなりすぎた実家を畳むことになった最後の片付けで出てきた物だ。
Super Takumar 35mm F3.5は、第一次出土品。
お爺ちゃんが親父に「使ってもいいよ」と譲った物の中には無い。つまり恐らくは、亡くなるその時まで自分の持ち物として大事にしていたレンズ群のうちのひとつなのだ。
ちなみに、Super Takumar 35mm F2は第二次出土品の中にあった。
ということは、お爺ちゃんはより上位モデルのF2を親父にやりつつ、自分はずっとこのF3.5を使っていた…ということになる。
その理由は…ここまで読んでくれた方ならなんとなく想像がつくだろう。
やっぱりお爺ちゃんも、その辺のフツーの風景を、フツーの日常を、フツーの家族の横顔を…フツーに記録していくことに喜びを覚えていたんだ、きっと。
だから、このレンズで「フツー」の写真を「よく撮れた」時は、お爺ちゃんに、
「いいな、たけ〜。上手に撮れてる」
と、褒めてもらっているような気になる。
…ああ、そうか。さっきの言葉も、お爺ちゃんに言ってもらっていたんだ。
だから僕は、このレンズが好きなんだな。
そっかー、なるほどなー。
言葉にして整理してみるのは、大事なんだなー。
銀座〜練馬駅前
わかった以上は、これからもずっとこのSuper Takumar 35mm F3.5は僕のフェイバリットレンズであり続けることが決まったということだね。
J Limited 01で使うときも、SLで使う時も。
どんなにFA LimitedやFLEKTOGONの写りが素晴らしくても、最後の最後はまたこのレンズに帰ってくる…。
偉大なるエコノミー、Super Takumar 35mm F3.5。
今日も明日も、またこのレンズと一緒に「フツー」を探しに行こう。
本日のお供
レンズもフツーなら、この機械も相当に「フツー」なやつだ。
露出計は、最近もう全然使わなくなってきたw
日向とフィルムの感度を基準に一度露出を決めたら、
- 日向に接している日陰に合わせる時は三段落とすか絞りを開ける
- 接していない日陰なら、更にもう二段落とすか絞りを開ける
これで何でも撮れるのがわかってきた。
今回の写真は、全部これ。
暗い遅いと文句を言わず、どうか一度じっくり向き合ってみて。
必ず、値段以上のリターンがあるから。